挨拶:国際シンポジウム開催にあたって


国際シンポジウム大会長 中西典彦(甲南大学 学長)


 この度甲南大学において、「環境倫理と環境教育−人と自然の共生をめざして−」をテーマとする国際シンポジウムが開催されることは、私にとりまして誠に喜びに耐えません。特に記念講演、特別講演を心よくお引き受けくださったアラン・ドレングソン氏(カナダ・ビクトリア大学教授)、ラダワン・カンハスワン氏(タイ・ラジャバト大学環境教育センター所長)、金 世 柏氏(中国中央教育科学研究所名誉学術委員)そしてヴィルヘルム・フォッセ氏(慶応義塾大学総合政策学部講師)には厚く御礼申し上げます。また、これら4氏と共にシンポジストとして国内より参加してくださる中川米造氏(大阪大学名誉教授)、鈴木善次氏(大阪教育大学教授)、そして我が甲南大学よりパネリストとして参加される中村運教授と久武哲也教授にも心よりの御礼と声援を送りたいと思います。
 21世紀を目前にし、まさに時機を得たこの企画は、コーディネーターの谷口文章教授によるものであり、先生の長年の研究テーマ「人間環境論」、「環境学の基礎理論」に対する平生太郎基金が、いささかなりともお役に立つとすれば、本当に嬉しいことです。20世紀は人類が科学技術の急速の進歩を達成したl00年でしたが、同時に悲しむべきことには、その技術が地球の破壊に、また互いの民族間の争いに最も有効に使われた時代でもあります。地球上に現れた人類の文明は、次々と新しい文明が生まれるにつれて、地球を傷つけ、このままでは地球環境とは共存できない様相を帯びつつあるとの危惧の念を強く持ちます。“文明と科学技術をもった人類を除いて、野生に生きるものは、共生の掟を守って生きる習性と能力とを身につけているのである”また、“人類の進歩と発展は,環境破壊を伴うとともに、天与の生きる能力を忘れ、環境を信頼して生きていないのではないか”との識者の言葉を重く受け止めねばなりません。科学技術の進歩と連携した経済活動の限りなき拡大によって、環境の破壊がいまや地球規模にまで及んでいることに、あらためて警告を発しなければならないと思います。環境問題や経済の問題も、もはや地球的な規模でしかその解決は不可能という段階に来ているといえるでしょう。しかし世界各国に住むそれぞれの国民・民族は、まだまだ遠い遠い認識の段階にあると考えられます。隣に大国を持つ小国では、核兵器を持つことが自分達の生きのびていく方法だと真剣に考えていると聞きます。核兵器を大砲の一種ぐらいに考えているという程度の認識なのです。
 科学技術文明はさらに次のステップ、つまり情報文明の時代へと突入しているのが現状でしょう。情報化はテクノロジーとしては、人間の意識の段階とは無関係にどんどん進み、さらに拡がるでしょう。このように考えると2l世紀は本当に大変な時代だと思わざるを得ないのです。
 このシンポジウムを通して、少しでも地球環境の現状の理解が深められ、集う人々の英知を結集して、あるべき環境の倫理・哲学が真剣に討論されることを期待します。そうして、「環境倫理」の重要性がこれからの地球の運命を担って生きる若者に引き継がれ、さらに「環境教育」によって具体的に展開されるよう心より祈るものです。



挨拶:日本環境教育学会から

日本環境教育学会 学会長 沼田 眞(千葉県立博物館)


 「環境倫理と環境教育−人と自然の共生をめざして−」のような課題について、よく情報を提供しているのは国際環境倫理学会のニュースレターである。1992年のリオデジャネイロのUNCED(環境と開発に関する国連会議=いわゆる地球サミット)のさいにも、いろいろな見解を述べられていた。
 その2〜3を述べてみると、興味深かったのは Holmes Rolston の見解「地球倫理の観点は、環境教育の改革のために自由教育的方向からのチャレンジとなりうる」とか、あるいは「経済的合理性を自然環境の保全との関係からの考察を必要とする」とか、「生態系と生態系の健康度を考察することは新しい自然保護の概念の方向を示す」とか、「生態系がどの程度しっかりしたシステムであるかは、持続可能な開発がどの程度調和的に関わっているかどうかに関係する」などとある。
 これらの断片的な言葉からも、環境倫理と環境教育の関係が示唆されるが、用語の巾が広すぎて、それだけでは具体的に理解しにくい。今日のテーマの一つとして検討の余地があろう。
 ところがある「環境倫理」の中でも、早くから社会的問題にされたのは“バイオエシックス”であるが、これすらも生命倫理と生物倫理とでは、問題点がひじょうにことなる。
 両者の問題点を具体的に述べてみよう。まず、「生命倫理」の場合は、すでに学会も活動をしているように、臓器移植や脳死の問題が大きな課題である。テレビなどでも最近よく報道されているが、金銭的な臓器の売買から、処罰としての類似のケースまである。これらは固体単位または固体を構成する器官単位の問題と思える。もっともそれが組織単位になり、血小板とか赤血球とか白血球の数や状態ということになれば、一般的な臨床的検査や病理的な対応になるであろう。問題の論点が、対象によって異なることが明確にされねばならない。
 ところが、同じくバイオエシックスでも「生命倫理」ではなく生物倫理という場合に、今回のシンポジウムの場合の副題にあげられている「人と自然の共生をめざして」に対応しよう。共生といえば、マメ科植物と根粒バクテリアとかヤドカリとイソギンチャクのケースなどがよく教科書にのっている。一方、ふえすぎたニホンザルと人里との関係などは種のレベルの共存関係であり、共生との従来区別されている野生生物保全編・研究会報によれば「野生生物と人との共存−CITES20周年を迎えて」という国際シンポジウムの言葉とでている。共生のレベルも、かなりの幅をもっている。
 この辺のバイオエシック(環境倫理)の問題点をも考慮しつつ「環境教育」との関連について討論を深めてほしい。



挨拶:実行委員長から

国際シンポジウム実行委員長 谷口文章(甲南大学)


 近年、種々の環境問題が一つとなって世界を揺るがしています。多くの人々が棲み家としての「地球」を守るために様々な立場から努力しているにもかかわらず、環境破壊はますます深刻化しています。
 そこで甲南大学では、日本環境教育学会の援助を得て、「環境倫理と環境教育」を共通テーマとして、日本、タイ、中国、カナダ、ドイツなどから学際的に各分野の専門家を招待し議論するために、国際シンポジウムを開催することになりました。ここでは種々の環境問題を、21世紀に向けての「環境倫理」を検討した上で、その倫理的原理にもとづいた「環境教育」について具体的な議論を展開したく予定しています。
 まず、「環境倫理」に関しては、大別して西洋と東洋の環境思想の相違があります。前者は、自然環境に対して人間が対立したり、人間が優位になって開拓したりする傾向がありますが、後者は自然環境の中に人間が位置づけられ共生していると考えられます。
 文献的な図式からすると、このように知的に理解できますが、実際の人と人、人と自然のつき合い方はケース・バイ・ケースです。その意味で国際シンポジウムにおいて、西洋と東洋の人々が集いディスカッションすることは大いに意義があるでしょう。なぜなら、シンポジウムの場において「考え方の相違を確認」したり人間同士の「感情を共有する」ことによって、文化の背景が伝わり相互理解が深まるからです。そして、そのような体験は、近未来の環境倫理を構築するために不可欠なことと思われます。
 また、「環境教育」に関しては、まだ誕生まもない分野でもあるので、このようなシンポジウムの機会に各国固有の文化を配慮しつつ、グローバルなレベルで標準化できるでしょう。そうすれば、国際的なレベルで環境教育が発展することが期待されます。
 このような意図をもって、12月14日の国際シンポジウムをおこないたく思います。さらに15日の公開シンポジウムも、14日の「人と自然の共生をめざして」という同じ共通の副題を実現するために、あわせて参加して頂ければ幸いです。



講演者・シンポジスト略歴


ラダワン・カンハスワン Laddawan Kanhasuwan(タイ・ラジャバト大学環境教育センター所長)
 アメリカ・インディアナ大学で修士号(教育学)を取得。1987 年よりバンコックのファラナカーン研究所のラジャバート環境教育センターのディレクターを務める。1996 年9月に退職。現在は、IPST (Institute of the Promotion of Teaching Science and Technology) 、WFT (Wildlife Fund Thailand) とファラナカーン研究所のラジャバート環境教育センターでコンサルタントを努める。著書:『環境教育の開発』『環境教育マネージメント』『サイエンスキャンプ』『開かれた環境世界』ほか。

金世柏 Jin Shibai(中国・中央教育科学研究所名誉学術委員)
 1925年6月生。国立東北大学卒、1950〜51年、東北人民政府教育部勤務。1952〜79年、中央人民政府教育部勤務。1979〜96年中央教育研究所、中国科技管理大学、上海外国語大学、上海師範大学、大連師範大学教授をへて、中央教育研究所名誉学術員。中国比較教育研究会顧問、北京中日関係史学会理事。著書:『現代教育の困惑』『90年代の中国教育改革』ほか。

ヴィルヘルム・フォッセ Wilhelm Vosse(ドイツ・慶応義塾大学総合政策学部講師)
 1963年、ドイツのラーカンに生まれる。1986年から1992年までドイツのハノーバー大学で政治学、社会心理学、哲学を学ぶ。1990年〜1991年、ロンドンの経済政治学学校で政府・国際関係論を学ぶ。ハノーバー大学で政治学の講義を行った後、1995年から慶応義塾大学の総合政策学部講師。民主主義と戦後日本の政治文化、また市民運動、特に環境運動を歴史的・社会的に考察。著書:Vosse, Thofern, Gabbani (eds.), Rationalitat im Diskurs, Marburg, 1994) ほか。

アラン・ドレングソン Alan Drengson(カナダ・ビクトリア大学教授)
 カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州、ビクトリア市、ビクトリア大学 人文・科学学部哲学研究科教授。専門分野:カント哲学、環境哲学、科学・技術論。著書:Shifting Paradigms: From Technocrat to Planetary Person (1983), Eeyond Environmental Crisis (1989), Doc Forest and Blue Mountain Ecostery: A Narrative on Creative Ecological Harmony in Daily Life (1993) など。米国・カナダでのエコフォレストリー協会の設立に関わり、この分野の専門誌 "The International Journal of Ecoforestry" を創刊。


中村 運(甲南大学教授)
 1930年、岐阜県生まれ。京都大学大学院理学研究科終了、理学博士。現在、甲南大学理学部教授。生物界のエコシステムと進化、特に適応のメカニズムと生物界の共存の実態を知ることに興味を持つ。現在、生物界は大量絶滅の時代にあり、その主因は人類の自然破壊によると考えられている。生物界のエコシステムを知ることにより、人類と他生物界との共存を探りたい。著書:分子生物学と生物進化学に関する著書・論文多数。

中川米造(大阪大学名誉教授)
 1926年3月23日生。1949年京都大学医学部医学科卒業、1954年大阪大学医学部講師(医学概論)、助教授を経て1984年教授(環境医学・集団社会医学概論)、1988年退官、名誉教授。現在仏教大学教授。日本保健医療行動科学会会長、日本生命倫理学会理事ほか。著書:『環境医学への道』『医療の原点』『医学の不確実性』ほか。

久武哲也(甲南大学教授)
 1947年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。京都大学文学部助手、甲南大学文学部専任講師、助教授を経て1991年より甲南大学教授。専門は文化地理学。北米先住民の環境観やその土着的な表現様式に関心を持つ。著書『地図と文化』(共編,1993年)『日本における文化地理学の展開』(編,1991年)ほか。

鈴木善次(大阪教育大学教授)
 1933年横浜生まれ。東京教育大学理学部・農学部卒。神奈川県、東京都にて高校教員。神奈川県立教育センター所員、山口大学助教授・教授を経て現職。科学史、科学教育、環境教育に関心を示す。主著として『日本の優生学』『人間環境論』『科学技術史概論』ほか。環境問題を文明論の視点で考察している。

谷口文章(甲南大学教授)
 1946年、兵庫県生まれ。甲南大学経済学部卒業、大阪大学大学院文学部研究科を経て、甲南大学文学部教授。日本環境教育学会常任運営委員。日本保険医療行動科学会理事。人間を形式的に哲学で、人間の心を実質的に心理学でとらえ、さらに人間の環境を「環境人間学」から研究。著書『現代思想のトポロジー』(共著,法律文化社)『哲学入門・哲学基本事典』(共著,富士書店)『環境とライフスタイル』(共著,有斐閣)『環境教育指導事典』(共著,国土社)『現代哲学の潮流』(共著,ミネルヴァ書房)ほか。



特 別 講 演

タイの慣習に基づいた環境教育

ラダワン・カンハスワン(タイ・ラジャバト大学環境教育センター所長)


要 旨

1. 序

 環境教育は環境問題を防止する手助けになると考えられています。また、私達は環境倫理が本質的なものであるという認識を持つべきです。環境倫理なくして環境問題の認識と解決はみられないでしょう。現在、タイの環境教育研究者はタイの慣習とブッダの教えに基づいて、人々の間に環境倫理を確立させることに興味を持っています。実際、環境に対する認識と環境倫理は、タイの人々の間ではブッダの教えと同様に信仰や慣習を通じて、長い間に植え付けられてきました。

2. タイの慣習と伝統的な文化的祭り

 タイの祭りと儀式はそれにふさわしい時に行われてきました。それらは世代から世代へと受け継がれ、慣習となりました。タイの人々の間に環境倫理を根付かせるために、多くの興味深い慣習が戦略として用いられてきました。例えば、ソンクラン祭、ロイクラトン祭、バンバンファイ祭等です。

 2.1 ソンクラン祭

 ソンクラン祭は4月13〜15日に行われます。伝統的に、この祭りではタイの新年を祝うことになっています。その前夜には、健全(適切)な家庭環境を作り出すために、どの家庭でも徹底的に掃除が行われます。そしてさらには両親や年長者に尊敬の念を示すだけでなく、一家が一同に会します。宗教的な儀式のためにブッダの像は寺院から外に出され、入浴の儀式を行い、信者たちによって清めの水をかけられます。さらに人々は更なる功徳と幸運を得るために、鳥を篭から放ち、魚を川に帰します。ソンクラン祭の最終日には人々は寺院の中に塔を作るために、砂を外から運んでこなくてはいけません。この習慣は人々の靴に付いて不注意にも寺院の外に持ち出された砂を寺院内に持ってくることを象徴してもいるのです。

 2.2 ロイ・クラトング祭

 ロイ・クラトング祭は、11月の満月の日に見られます。クラトングは、伝統的に神への奉納物としてバナナの葉で作られている浮きに似たものであります。それは蓮の花を型どったカップのような容器に似せて作られています。ロイは、タイ語で”浮く”という意味です。クラソングを水に浮かべることは、その一年の水のマエ・フラ・コンハ、すなわち水の守り神にそれを捧げることであります。その年の水の乱用や汚染に変わって神の恩恵を受けられるように願うためであります。

 2.3 バン・バン・ファイ祭

 バン・バン・ファイは、ロケット祭であります。これは、典型的な北東の祭であり、雨を乞うものであります。そしてこの祭によって、その村全体の社会的なつながりがさらに強くなるのです。
 これらのタイの慣習によっていかに自然環境が守られているかが分かります。

3.自然に対する仏教徒の理解

 仏教はタイの人々のパーソナリティの発達において、非常に多きな影響力を持ちつづけてきています。おそらくそれは、最も重要な要因となってきたでしょう。ブッダの教えの一つに「五行の戒め」と呼ばれているものがあります。まず、最初の戒めは殺生を禁じています。二つ目の戒めでは、窃盗を禁じています。三つ目の戒めでは姦淫を禁じています。四つ目の戒めでは虚言を禁じています。そして、最後の戒めでは飲酒を禁じています。
 アジアの多くの地域において、単一あるいは絶滅の危機に直面している種族のみならず、そのような動植物に対しても仏教が大きな影響をもっていることを示す証拠が沢山あります。加えて、仏教は水源のみならず、種や森林の保護に直接的で有益な効果をもたらすことが示されています。
 今日、仏教の教えが環境倫理を自然保護の一般的な認識としたことがわかるでしょう。結局、タイは環境倫理の発達に関して、慣習の継承と仏教の価値を認識しています。従って、タイの慣習と仏教に根ざした現在の環境教育は、タイの人々に有形無形の教育を通じて、施されていると考えられます。



中国の環境思想と環境倫理


金 世 柏(中国・中央教育科学研究所名誉学術委員)


要 旨

1.はじめに

 二十一世紀を前に、世界は今「地殻変動」ともいうべき歴史的転換期を迎えている。中国も計画経済から市場経済へうつり変わり、いわゆる「構造変化」のなかにある。新しい視点や原理を求めて動き始めた私達のこの時代は、あきらかに社会の革新を求めている。ところで、ふまえておかなければいけないことは、地球規模の環境破壊と生態悪化という事実であり、もはや地球人類の生存そのものが危なくなってきた。人類の存続を図るためには、私達はもう一度原点に立ち返って、人間と自然の共存、地球規模における人間の位置や役割について根本的に問い直してみることが必要になったと痛感している。
 地球規模で生み出される環境問題を視野に収め、それらの解決に取り組みつつ、今、私たちは教育の側面から真剣に考えなければならない。この度、甲南大学が日本環境教育学会の援助を得て「環境倫理と環境教育」をめぐって国際シンポジウムを催すことは深遠な意義があると思われる。お招きいただき、感謝とお礼を申し上げます。

2.地球環境と中国の環境の現状

 地球規模の環境問題が顕著化しつつある今日、われわれの棲み家である人類社会の生活環境を見直すべきだろう。地球の環境問題は実に各地域の環境問題によって引き起こされたものであり、国家主義的発想ではもはや成りたたなくなってきている。

3.環境倫理、環境教育をめぐる種々の考え方

 l)自然環境と社会環境

 人間環境には自然環境ばかりではなく、人為的環境、即ち社会の環境も含まれている。従って環境問題を論じる場合、自然環境の破壊だけに目を留めてはならない。つまり自然と社会の環境破壊の両方とも忘れてはならないのであり、この意味において環境思想と環境倫理に対する理解と認識を深めることが必要なのである。環境倫理と環境教育の原理は、深い人間観、自然観、世界観そして価値観に根ざしている。しかもその国の文化伝統と風俗習慣につながっている。

 2)中国古代の自然観、環境観

 古代中国人の自然観に大きな影響を与えたのは“天人合一”という思想である。即ち天の道と人間の道の合一を求めることである。天道は自然観の発生と変化の法則を指し、人道は人類社会の守るべき規則と道徳倫理を意味している。客観の自然と主観の人類活動がよく対応して混然一体になり、自然と調和しながら人類が生きる、自然尊重の精神を提唱するのである。
 儒家は自然資源を合理的に利用し、大事にすることを「王道」の高いレベルに引き揚げ、王道を実行すればこそ人間の楽土に立ち入ることができるとする。
 道家の視点によると「清潔無為」「大自然に帰ろう」と主張している。総括して言えば中国古代の自然観、環境観の歴史過程を天命論から征服論、そして調和論へと三つの段階に分けることができる。人類と自然との共存が最終の目的なのである。

 3)現代の自然観、環境観

 率直に言うと幾らかの曲折を経てやっと正しい意見がまとまって来たと言える。最初は自然を“征服”と“総括”の対象として「人間は天に勝ち抜くことができる」(人定勝天)というスローガンを高らかに叫び、自然に対して乱暴な開発により環境もひどく破壊された。
 改革開放の政策を実行して以来、中国はつねに物質文明の建設と精神文明の建設の両方を重視し、強調している。精神文明とは一言で言うと高邁な人格と正確な道徳倫理観である。転換期に処する中国社会の倫理的な現状は、三つの矛盾した文化現象を孕んでいると指摘されている。旧い観念や生活スタイルを根本的に転換しないで、技術的に対応するだけで環境問題が克服できるとは思えない。環境問題を解決するためには外的、社会的、物質的方面の努力は勿論重要だが、さらに大切なことは、内的、精神的、道徳倫理の向上であると言えるだろう。また、環境間題の顕著化や環境教育の重要性が指摘されてから、環境倫理も中国で注目の的になりつつある。

4.環境倫理と環境教育の諸課題(略)
5.結びの言葉(略)



日本における環境運動とその将来
−欧米との比較において−

ヴィルヘルム・フォッセ(ドイツ・慶応義塾大学講師)


要 旨

 このスピーチでは戦後日本における環境問題や公害問題の一般的な概観を述べ、日本の環境運動の特徴を述べたい。環境問題と環境運動の手短な歴史の紹介の後、環境運動が日本の政治的・社会的制度でどのような役割を果たしているか、環境運動の論点及びねらいは何か、このような運動は日本の社会教育、日本の政治文化や民主主義の発展にどのような役割を果たしているか、主な問題点は何か、を概説したい。最後に日本と欧州・米国の環境運動の特色を比較したい。
 日本における問題への切り口として、まず戦後日本の環境運動の発展を簡素に要約したい。
 1955年から1965年の間は高度経済成長、急激な都市化、池田内閣による所得倍増計画(1960年)、第一次経済発展計画の時代だった。これらの結果、工業汚染は速度を増した。
 戦前にも汚染に関連する病気は存在したが、1950年代になって患者が彼らの病気が環境汚染によって引き起こされていることに気づき始めた。しかし被害者たちの最初の反応は何も言わず静かにしていることであった。社会調和という暗黙のルールが、彼らがこのような運命に耐えなければならないという気持ちにさせたからだ。1950年の後半になり、患者の数も病因も明確になり、初めて患者やその家族が企業やその地域の政府に対立し、患者としての認定と後には賠償を求めるようになった。政府は初めは被害者の訴えはいずれやむだろうと予測し、彼らの要求を無視した。しかし被害者側はマスメディアの注目を浴び、彼らの運動はやがて全国的に広がった。だが政府や企業は話し合いに応じることも賠償することも拒否し